シングルス・リーグ戦の話題

記録&記憶

リーグ戦発展期

第11回~24回の戦績表を掲載

シングルス・リーグ戦11回~24回大会のデータの整理が終わったので、今日公開することにしました。

1990年秋期から1997年春期分で日本の経済界ではバブル後期から崩壊直後の時期にあたります。

  第11回大会  第12回大会  第13回大会  第14回大会  第15回大会
  第16回大会  第17回大会  第18回大会  第19回大会  第20回大会

  第21回大会  第22回大会  第23回大会  第24回大会 (1~10回分はこの下に)

この頃のKTG会員の年齢構成は40代~50代が中心だったと思います。

現在よりだいぶ世代が若かったせいかシングルス・リーグ戦に熱中する人も多く、参加者は増えていき16回、17回大会で64名のピークに達しました。17回大会の構成は6,7,8,9部は6名ずつで、このとき初めて12部が出来ました。

最近2年間のリーグ戦参加者は40名台前半の人数です。64名は20名も多いわけで大変な隆盛だったと言えるでしょう。試合数もそれだけ多くなり、当時の試合日の朝8時台はコート4面全てでシングルスの試合が行われていたものでした。

この頃のリーグ戦で特筆すべきは喜渡卓さんの強さでしょう。19回大会から27回まで9連覇するなど、1回大会から37回までの間に25回も優勝し、圧倒的な強さを誇りました。家庭の都合で37回大会終了後に引退されたのですがまさにKTGのレジェンドともいうべき人でした。

記録を整理していて、どうにも納得できない不思議なデータにも出くわしました。

第7回大会で7部の寺沢さんと8部の村北という人の間で不自然な試合が行われた記録になっているのです。どちらの部も5人なので総当たりで各人が4試合戦っているのですが、その他に部をまたいで1試合しているのです。寺沢さんは7部4位になって8部の2位の人と入換え戦は別途戦っているので、8部で1位になった村北さんと戦う理由はまったく思い当らないんです。

この試合、実は村北さんの第1試合に組まれているようなので、何かの間違いで7部の人と試合をしてしまったので、それはそれとして、一応記録に残してあと部内のリーグ戦を普通に消化したのだろうか?などと想像してみたのですが、ミステリーな記録です。

 

新たにKTGの会員になった人の多くは男女を問わず、誘われてシングルス・リーグ戦に参戦するのですが、すぐに辞めてしまう人とその後継続して参加していく人とに分かれます。

シングルスはコートカバーする範囲が広いので、ダブルスとは当然に動き方が違うのでそれに馴染める人と馴染めない人とがいるのでしょう。ある程度走れる人にとってはダブルスとは違うテニスの楽しみ方を実感できるはずですので、その面白さに気付く前にやめてしまった方はもう1度チャレンジしてみてはいかがでしょう。

テニスの楽しみ方はいろいろありますが、私は今回古い記録をじっくり眺めて、このこと自体も一つ面白さを提供してくれることに気付きました。記録にはそれぞれの人の熱い思いがこもっていることを感じます。また、20年以上前の会員さんの名前に出会い、ああ、この人と試合したこともあったなあ、と懐かしく当時を思いだしたりもしました。

皆さんも、時には若かった昔の自分を、シングルスのデータを通して思い出してみるのも面白いかもしれませんよ。(清野記2016/2/24)

リーグ戦が始まったころ

第1回~10回の戦績表を掲載

  第1回大会  第2回大会  第3回大会  第4回大会  第5回大会
  第6回大会  第7回大会  第8回大会  第9回大会  第10回大会

 

 今から約30年前、1985年9月にに第1回目のKTGシングルス・リーグ戦が始まりました。私の古いパソコン(なんとWindows98です。ちゃんと動きました)の中に当時のデータを見つけたのでこれをExcelの表に整理し、今回とりあえず1回目から10回目までの戦績表を公開することにしました。25回目から現在までの戦績は既にH/Pのデータ室に収録済ですので、残るは11~24回目ですが、これもデータは残っていたので、見やすい表として整理が終わり次第公開したいと考えております。

 1回目の開催に向けて有志の方々がリーグ戦の方式をまとめ、参加者を募って開催にこぎつけるまでにはいろいろとご苦労があったことが想像できますが、1部を5人とし各部内で総当たりのリーグ戦を戦うというコンセプトは基本的には30年経った今も継承されております。

 第1回目は55名が参加し、何と11部までありました。1~11部までにメンバーを振り分けるのは誰がどのようにやったのか興味深いことですが、顔触れを数えてみるとこの第1回の参加者の14人の方が現在もクラブに残って元気にプレーされております。その内7名の方は現在もシングルス・リーグ戦に参加し、楽しんでおられます。途中で一旦辞めてあとで復活した人も含まれていますが、30年経ってもシングルスの試合が出来るってすばらしいことですね。

 1回目は各部の5位になった人は、その下の部の1位と自動的に入れ替わるというルールで始まったのですが、翌年(1986年)春に行われた第2回大会では5位と1位が入れ替え戦を戦うということに変更されました。しかし、この結果は全ての部で下の1位の人が勝って入れ替えになったので結果的に自動入替えと同じ結果でした。そのためでしょうか、第3回大会では入れ替え戦は廃止され、自動入替え制に戻されたのです。

 第4回大会では最下部の10部が7名という半端人数になったことで、総当たりを重視したのでしょう10部のみ6試合戦うという運用がなされました。この方式は10部が6名となった5回大会でも継承され、10部のみ各5試合が実施されました。そして5回大会から現在と同様に5位と下の1位は自動入替え、4位は下の2位と入替え戦を戦う方式となりました。

 5名を越える部が総当たりで4試合を越えて5試合、6試合戦うという方式は7回大会迄続くのですが、入れ替え戦も行うことになって試合数が増え、日程維持に影響してきたのでしょうか、8回大会からは6名以上の部が出来た場合にも各人は4試合しか行わないようになりました。人数に応じて順位何番目の人はこの順位の人と戦うという対戦パターンを設定したのです。これも現在も継承されている合理的と思える方式です。

 上に記したように、KTGのシングルス・リーグ戦は立ち上げ当初から様々なトライと運用の工夫が成されてきました。こうした施策は会員有志による実行委員会で議論してルール化しいきます。この後の20回目の大会から各部を5名から10名に倍増した上で5名づつ2組に分けてリーグ戦を行うという現在の形に変更しました。リーグ戦に後から参加した人は非常に強い人であっても10部から1部に昇進するには9大会を経なければならなかった期間を半減し、流動性をよくする狙いでした。

 こういったシステム改良もしながらリーグ戦は30年経った今も続いている。KTGというテニスクラブの大事な売りになっているのかもしれない。老若男女KTG会員であれば誰でも参加でき、やめるのも自由だし、何といってもちゃんと審判がついて、毎試合ニューボール使って誰にも遠慮の要らない自分のやりたいように戦うことが出来るシングルスの試合はKTGの会員になったら是非経験して欲しいイベントです。

 10回目までの戦績表を見ていくと懐かしい人の名前も見つかるんじゃないでしょうか? あるいは「エ!、この人もリーグ戦に入ってたんだあ」と新しい発見があるかもしれません。今、60代、70代の人も30年前はビシバシ走れていたわけですからシングルスの試合だってやれてたのは何の不思議もありません。そういったタイムスリップした断面が垣間見えるのもおもしろいんじゃなかなあ、というのが、今回古い情報を復元しオープンした狙いでもあります。これを茶飲み話の話題にしてひとしきり楽しんで戴きたいものです。(清野 記)


なお、戦績表の名前欄にフルネームは使われておりません。電話番号や住所など個人情報も入ってません。なので、今回パスワードによるセキュリティチェックは掛けずクリックすればすぐに見える状態で掲載しました。気になる方がおられましたら私(清野)まで連絡ください。対応すべきことがあれば考えさせて戴きます。

下の「第n回大会」をクリックするとそれぞれの回の戦績表が表示されます。正しく表示するにはPDFソフト(無料)が必要です。インストールしてない方はアドビ等のサイトで入手してください。


第1回大会  第2回大会  第3回大会  第4回大会  第5回大会

第6回大会  第7回大会  第8回大会  第9回大会  第10回大会