第29回       2012年、夏の記憶

 ロンドン・オリンピックが終わった。

 毎晩、時間を忘れて、各局がカバーしている競技の中継をせわしなくチェックし、日本選手たちの勝敗の行方に一喜一憂し、世界のトップアスリートたちのパフォーマンスに魅了され、審判や採点者の不可解なジャッジに腹を立てたりする日々も、もう終わり。次回は2016年、リオデジャネイロか。4年後の自分は何をしていて、どうなっているのだろう。まったくイメージできない!

 オリンピックで好きなのは、表彰式。表彰台の上に立った選手たちの笑顔を見るのが好き。いろいろなものを背負って会場に乗り込み、さまざまなプレッシャーと戦い、自分に、そして相手に勝ち、あるいは負けてゲームオーバー。すべてをやり終えた彼ら、彼女たちの晴れやかな表情がいい。一流のアスリートは、とてもいい顔をしているなと思う。

 女子サッカーのなでしこたちの、弾けるような笑顔がよかった。試合終了直後は泣きじゃくっていた選手もいつもの笑顔に戻り、胸を張っていた。スポーツはすばらしいと、胸が熱くなった。

 いつも、こういった大きなスポーツ・イベントの放映で鼻につくのは、民放の各局が現地に派遣するタレントリポーターたちのはしゃぎようだ。彼らが競技を観終えて感想を述べたりするが、いったい誰がそういうコメントをありがたがって聞くのだろうと思う。

 今大会、個人的に一番印象に残った場面は、レスリング女子の浜口京子が初戦で敗れたあとの彼女と両親のインタビューだった。父親のアニマル浜口は、親としては「よくやった。お疲れさん」という気持ちだけど、「メダル、メダル」と騒ぐ世間の目があるので、「何やってんだ!」と言わなくてはいけないと言ってた。「オレはやり残したことがある。リオデジャネイロも行くぞ!」と叫ぶと、母親は「わたしゃはっきり言ってリオなんて行きたくないね。娘ももう年頃なんだし、わたしゃ孫の顔が見たいんだよ」と怒る。まるで漫才。浜口家なりの愛情表現で微笑ましい光景なのだが、よく考えてみると、果たしてそんなやりとりを日本のスポーツファンに届ける必要があるのだろうか。欧米のメディアは、おそらくそういう放映はしないだろう。

 視聴率を意識し、なんとかおもしろおかしく、あるいはドラマティックに、サイドストーリーを作り出そうとする日本のメディア。純粋に競技だけをじっくり見せてくれるだけでも、十分おもしろいのに。

 これは、その国でスポーツが文化として成熟しているかどうかの問題だと思う。いや、もしかしたら、これが日本のスポーツ文化なのかもしれない。‥‥というようなことを、いつも考えさせられる。

 さて、8月も後半戦。テニスでは今年最後のグランドスラム大会、USオープンが始まる。オリンピックで世界ランキング5位のフェレールにストレート勝ちした錦織がどこまで勝ち上がれるか、注目したい

                         (2012/08/16)


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