第28回       忘れられない6月

 先月、とても大切な人が亡くなった。

 根本さんは僕がテニマガ編集部に入ったときの編集長だった。以来、公私ともに本当にお世話になり、今の自分があるのも、根本さんがいたからと言っても過言ではない。育ててもらったのだ。そのことを今、強く感じている。

 頭によぎるのは、果たして自分は、根本さんに感謝の気持ちを十分に伝えたのだろうかということ。ぜんぜん足りていない。それがとても悔やまれる。今でも文章を読み書きするとき、人と会話をしているとき、また、テニスをするときにも、根本さんの言葉だったり存在だったりが頭の片隅にある。それほど、自分にとって大きな存在だったのに。

 会社に自分を拾っていただき、仕事を一から教えていただいた。インタビューのやり方、文章のまとめ方、書き方、タイトルや見出しのつけ方、写真の選び方などのもろもろの編集作業はもちろん、人との付き合い方なども教えていただいた。どんな仕事も同じだと思うが、結局、雑誌作りは、人同士のつながりを大切にしないとうまくいかないのだということを教わった。そして、それは、人が生きていく上で、もっとも大切にしなくてはいけないことのひとつだということも。

 ペアを組んでいただいて、草大会にも何度か出たこともある。これがけっこう強かった。サウスポーから繰り出す根本さんのキレのあるサービスは一級品で、相手がまともにリターンした記憶がない。大事な場面では決まってダブルフォールトだったけど。グランドスラムのチャンピオンがよくやるように、オッサンふたりが、うっとりとした表情でトロフィーの両側にそれぞれキスしている写真は、何度見ても気色悪くて笑える。

 編集部でテニス合宿したこと、アジア大会取材やデ杯取材(取材というか応援)にみんなで行ったこと、校了した夜は、どんな遅くなっても必ず焼肉を食べに行って打ち上げしたこと、ラーメンを食べるため、昼休みにわざわざタクシーに乗って早稲田まで行ったこと、仕事と称して夕方から焼き鳥屋で飲んだくれたこと、居酒屋でのテニス談義、雑誌を作るという生みの苦しみ、徹夜明けの水道橋のガランとしたホーム‥‥。当時の日常が次々と思い出される。自分の20代、30代。「いい時代」だったなと思う。

 どうもありがとうございましたと、もう一度お会いして、直接言いたかった。たくさんの感謝と、深い後悔、そして大きな寂しさが入り混じった気持ちで、どんよりと曇った梅雨空を眺める。6月は夏の予感がする希望の月であり、自分の誕生月でもあるので大好きな月なのだが、今年は忘れることのできない悲しい月となった。

 気づけば明日はもう二十四節気の小暑。根本さんが愛したテニスの最高峰の大会、ウインブルドンも佳境を迎えている。

                         (2012/07/06)


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