第26回       男子テニスはどこまで進化するのだろう?


  オーストラリアン・オープンが終了してから1週間が経つが、まだ自分の中に男子決勝 の余韻が残っている。
 すごい試合だった。両者がベストを尽くし、気力を振り絞って戦う姿に感動した。 しかし、同時に、さまざまな思いが自分の中に生まれた。世界の男子テニスのレベルは、どこまで 進化するのだろうか。あの舞台、つまりグランドスラムの頂点に、果たして日本選手(つまり、 錦織圭)は立つことができるのだろうか。将来、さらに進化するであろうテニスは、もしかしたら、 みんな同じようなプレースタイルになるのかもしれない。サイボーグのように鍛え上げられた 身体で、まるで陸上の100メートル走のようにコート上を走りまわり、卓球のように速いテン ポでボールを打ち合う。それは、果たして観ていて楽しいのだろうかと。
 第1シードのノバク・ジョコビッチと第2シードのラファエル・ナダルが演じた5―7、6―4、 6―2、6―7、7―5、決勝としてはグランドスラム最長記録である5時間53分の試 合は、死闘と言ってよかった。「テニスは血の出ない格闘技」だとよく言われるが、この試 合はまさにそんな印象だった。
 意味のないショットは1本もないのではないかと思われるほどの、すべてのショットが、 コースや回転、スピードがコントロールされているように見えるラリーの応酬。それを6 時間も続けるのである。それも、僕たちがテニスガーデンで6時間ぶっ通しでテニスをす るのとは、わけが違う(それさえ、体力的にムリ)。舞台はグランドスラム大会の決勝。 スタンドを埋め尽くした観客だけではなく、世界中のテニスファンが注目する中、サポー トしている周囲のさまざまな人間の思いなどを背負って、一瞬たりとも緊張感を切ら せることなく戦い抜くのである。
 勝利の瞬間、ジョコビッチはコートに大の字になり、シャツを投げ捨て、雄たけびを あげた。すごい身体をしていた。ナダルの身体なんか、まるでラグビー選手のようだ。 その昔、ジョン・マッケンローが試合後にシャツを脱いだとき、「なんだ、普通の身体 だな」と思った記憶がある。今やテニスプレーヤーは、極限まで鍛え上げられたアスリ ートでなければ勝てない。あれほどハードな試合をやり終えて、ナダルは「限界ぎり ぎりの苦しさをエンジョイすることができた」とコメントしている。ふたりともまだ体力的に 余裕があるように見えた。
 かつて、マッケンローやコナーズ、ボルグがいた時代。それぞれのプレーヤーは 独自のプレースタイルを貫き、戦った。試合の中に、プレーヤーの精神的な動揺や 葛藤などが現れ、それゆえに、とてもわかりやすいドラマがあったなと思うのである。 どのプレーヤーも得意なショットと苦手なショットがはっきりしていた。だから試合が おもしろかったのだが、今はそれではチャンピオンになれないだろう。
 昔はよかった、と言いたいのではない。ただ、あまりにもふたりのプレーがすごくて ちょっと心配になったもので。しかし、振り返ってみると、以前、ボリス・ベッカーが 登場したときも、ピート・サンプラスやロジャー・フェデラーが出てきたときも、「これから どうなってしまうのだろう?」と確か同じような心配をしたのである。
 さて、2012年も12分の1がすでに過ぎ去ってしまった。世界のテニス界は休 むことなく、デビスカップやフェドカップ、そして、クレーコート・シーズンへと突入していく。よし、 僕もがんばるか!と意味もなく気合いを入れてみた立春の日。、

                         (2012/02/04)


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