あのとき、皆さんはどこにいただろうか。家? 会社? テニスコート?
3月11日午後2時46分、僕は自分の店にいた。ランチタイムが終わり、お客さんがい
なくなった店内で遅い昼食を食べていた。体験したことがない大きな揺れ。幸い、店はほ
とんど被害がなかったが、マンションの10階にある自宅は、本やらCD、食器などが部屋
中に散乱していた。呆然としながらテレビをつけると、被災地の生々しい映像が映し出された。
ふと、2001年9月11日の夜を思い出した。アメリカで同時多発テロが勃発したあの日。
テニスマガジンの編集部にあるテレビで、衝撃的な映像を見た。あの夜の、息苦しさをい
まだに思い出す。USオープンが終了した直後だったため、多くのテニス関係者がまだニュ
ーヨークに滞在していた。しかも、派遣した記者が、ちょうどその日にニューヨークから
国内線に乗ることになっていた。確か、飛行機はユナイテッド航空? 世界貿易センターに
突っ込んだ飛行機もまたユナイテッド航空……。連絡を取ろうとしたが通じない。巻き込
まれていないことを祈った。心配した彼女の母親から電話がかかってくる。雑誌に掲載す
る予定だったユナイテッド航空の広告の取りやめの連絡が入る。締め切り直前だったため、
印刷所から催促の電話がかかってくる。結局、その夜は編集部から離れることができず、
朝方になって、ようやく彼女から無事との連絡が入ったのだった。
あまりに衝撃的な現実を前にすると、まるで時間が止まってしまったかのような感覚に
とらわれるということがわかった。あの夜も、そして今回もまた。ただただ、ぼけっとす
るしかなかった。
しかし、立ち止まっていてはいけない。津波も、原発も、とても恐ろしいけど、一番怖
いのは、立ち止まってしまうことだと思う。被災地の外にいる自分に何ができるか。自分
の店で、知り合いのミュージシャンに協力してもらってチャリティーライブを企画し、物
資と義援金を集めて、よりリアルなルートで被災地へと送った。ウメザワの提案で、福島
の会津でペンションを経営している大学時代の後輩宛に「予約金」をテニス部OBの有志
で振り込んだ。ささやかな義援活動だが、これからも自分のできることをやっていくしかない。
風薫る季節となり、街にも活気が戻ってきた。店の前の通りを行き交う人々が光に照ら
され、きらきらと輝いている。日々は続いていくのだ。
さあ、前を向いていきましょう。テニスができるということに感謝し、いつもの生活が
送れるということの幸せを噛み締めましょう。
(2011/05/10)