第23回       「あのとき」の記憶


 あのとき、皆さんはどこにいただろうか。家? 会社? テニスコート?
 3月11日午後2時46分、僕は自分の店にいた。ランチタイムが終わり、お客さんがい なくなった店内で遅い昼食を食べていた。体験したことがない大きな揺れ。幸い、店はほ とんど被害がなかったが、マンションの10階にある自宅は、本やらCD、食器などが部屋 中に散乱していた。呆然としながらテレビをつけると、被災地の生々しい映像が映し出された。
 ふと、2001年9月11日の夜を思い出した。アメリカで同時多発テロが勃発したあの日。 テニスマガジンの編集部にあるテレビで、衝撃的な映像を見た。あの夜の、息苦しさをい まだに思い出す。USオープンが終了した直後だったため、多くのテニス関係者がまだニュ ーヨークに滞在していた。しかも、派遣した記者が、ちょうどその日にニューヨークから 国内線に乗ることになっていた。確か、飛行機はユナイテッド航空? 世界貿易センターに 突っ込んだ飛行機もまたユナイテッド航空……。連絡を取ろうとしたが通じない。巻き込 まれていないことを祈った。心配した彼女の母親から電話がかかってくる。雑誌に掲載す る予定だったユナイテッド航空の広告の取りやめの連絡が入る。締め切り直前だったため、 印刷所から催促の電話がかかってくる。結局、その夜は編集部から離れることができず、 朝方になって、ようやく彼女から無事との連絡が入ったのだった。
 あまりに衝撃的な現実を前にすると、まるで時間が止まってしまったかのような感覚に とらわれるということがわかった。あの夜も、そして今回もまた。ただただ、ぼけっとす るしかなかった。
 しかし、立ち止まっていてはいけない。津波も、原発も、とても恐ろしいけど、一番怖 いのは、立ち止まってしまうことだと思う。被災地の外にいる自分に何ができるか。自分 の店で、知り合いのミュージシャンに協力してもらってチャリティーライブを企画し、物 資と義援金を集めて、よりリアルなルートで被災地へと送った。ウメザワの提案で、福島 の会津でペンションを経営している大学時代の後輩宛に「予約金」をテニス部OBの有志 で振り込んだ。ささやかな義援活動だが、これからも自分のできることをやっていくしかない。
 風薫る季節となり、街にも活気が戻ってきた。店の前の通りを行き交う人々が光に照ら され、きらきらと輝いている。日々は続いていくのだ。
 さあ、前を向いていきましょう。テニスができるということに感謝し、いつもの生活が 送れるということの幸せを噛み締めましょう。


                         (2011/05/10)


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