連載コラム/リュウの楽しくなくちゃテニスじゃない!

                    中林 隆
             (なかばやし・りゅう)

        1965年6月21日、東京都生まれ。獨協大学体育会テニス部出身。
        1992年(株)ベー スボール・マガジン社入社。テニスマガジン、
        ソフトテニスマガジンの編集に携わ り、ウインブルドンなどの4大
        大会を始め、数々の大会を取材。2000年にテニスマガジン編集長
        に就任。2004年退社。 2006年8月、武蔵野市吉祥寺に「カフェ&
        ギャラリー パラーダ」をオープン。 カレー作り、カクテル作り、接客、
        そしてイベント企画と日々奮闘中。ぜひ遊びにいらしてください!
        www.cafe-parada.com
  






























  第20回       試合に負けると…


 リーグ戦で2敗してしまった。そのうちの1敗はDef負け。てっきり雨天順延だと思って いたのに、試合開始の少し前には雨があがり、試合ができる状態になったのだそうだ。恐る べし砂入り人工芝。 この負けによりリーグ戦4連覇の夢は、あっけなく消えてしまった。トホ ホ…。
 試合に負けると、テニスだけではなく自分自身が否定されたような気がして、かなり気分 がブルーになる。あれこれうじうじと頭の中で試合を振り返って、突然、「これまでの僕の テニス人生はいったい何だったんだ!」と声を荒げたくなる。そして次第に「今の俺って、なん かカッコ悪い」と妙にしょんぼりしてしまう。自分は褒められて伸びるタイプなので、いっ たんダメージを受けるとしばらく立ち直れないのです。 すぐに「よし、次はがんばるぞ!」と はならない。皆さんはどうですか? 試合に負けたとき、皆さんはどのようにその事実を消 化しているのでしょう?
 大きな、例えばウインブルドンのような大会になると、選手は試合に勝っても負けてもそ のあとの記者会見に出ることが義務付けられている。メディアに対して敗因を語らなくて はならないのだ。プロなのだから仕方がない。でも、これがつらい。選手もつらいし取材する ほうもつらい。僕がテニマガにいた当時は、伊達公子さんの記者会見などはけっこうつらか った。人一倍負けず嫌いの伊達さんに対して、周りの記者たちも質問には十分に気を遣って いた。だから、今の伊達さんの記者会見の映像をテレビなどで見ると、すごく丸くなったと いうか、年齢を重ねたことによって生まれた余裕みたいなものが感じられる。
 ゴーラン・イバニセビッチという選手がいたのだが、彼はいつも負けると「今日は僕の日 じゃなかった」とか、「僕が負けたのではなく、相手が勝っただけだ」などと強がりを言って いた。今日はどういうわけだか自分の日じゃなかった、ただそれだけのことなのだと。そう か、これは使える! 自分もそういう気持ちでやればいいんだ!と思ったものだった。
 と書いていたら、なんだか気分が晴れてきた。よし、次の試合は、「自分の日」になるように がんばるぞ〜!


                               (2010/10/21)



  第19回       ハロー・グッバイ


 出会いについて、最近よく考える。年をとったせいかもしれない。40代も半ばに差し掛か り、若い頃よりもひとつひとつの出会いが愛しく思うようになった。
 以前もどこかで書いたことがあるが、出会いは、人生の中で、いつも魅力的だ。これまで、 いったいどれだけの人と出会っただろう。「人生はハローとグッバイの連続さ」と歌ったの はビリー・ジョエルだったっけ? 確かにそうだ。でも、ハローとグッバイはどれも同じものはなく、 濃さがある。多くの出会いはそれっきりとなってしまったが、いくつかの出会い は、やがて絆 となっていつまでも関係が続いたりするし、たとえ長いこと会わなかったりしても大切な思い 出として心に刻まれたりする。
 そのひとり、ナカジマと自分の店で久しぶりに再会した。20年ぶりくらいだろうか。懐か しかった。会っていなかった月日があまりに長すぎて、どこから話そうかお互いわからなか ったけど、ただただ再会がうれしかった。
 思えば、高校時代のテニス部の後輩であるナカジマとは、ある事件から急接近したのだっ た。
 当時、新しくキャプテンとなった僕は、生意気な後輩であるナカジマの扱いに手を 焼いて いた。ある日、みんなで決めたルールを無視し、規律を乱すナカジマに対して腹を立 てた僕 は、彼の胸ぐらをつかみ、猛烈な勢いでベースライン後ろの金網に叩きつけた。それまでゆる〜い雰囲気でやっていた部員全員への見せしめの意味もあった。後輩のリーダー格であるナカジマをガツンとやれば、部全体をまとめることができると考えたのだった。 隣のコートにいた女子の何人かは悲鳴を上げ、その場にいた男子はしんと静まり返った。ベタな青春ド ラマの一場面のようで、今思い起こすと笑ってしまうけど、そのときは真剣そのものだった。それからどうなったかはよく覚えていない。でも、その事件がきっかけとなって、僕と彼との間に、 ある種の強い結びつきが生まれたのだった。
 バイトをいっしょにやったり、旅行に行ったり。よくふたりで飲んだくれた。 楽しい場面がたくさん思い出される。「先輩は僕の人生を変えた人です」とナカジマは言う。 それは大袈裟だが、でも、あの年齢特有の熱さがぶつかりあって、お互いにとってのかけがえのない出会いとなったのは事実だ。 あれから20数年、僕はナカジマの先輩として恥ずかしくない人生を送ってきたのだろうか。
 話し足りなくて、近日中の再会を約束して彼と別れた。そういえば、スペイン語で「バスの 停留所」という意味のパラーダという店名は、さまざまな人が訪れ、ここで出会い、また旅立っていってほしいという思いで名づけたのだった。
 店の窓から見える景色がピカピカと眩しく輝いている。どうやら東京も梅雨が明けたようだ。今年の夏は、どんな出会いがあるのだろう。


                               (2010/07/18)



  第18回       錦織圭の話 その2

 この間、と言ってもちょっと前になるが、僕の店に“エア・ケイ”こと、錦織圭選手が来て くれた。しかも3回も。「ウソだろ?」と思うかもしれないが、本当なのだ。証人はウメザワ、 ツッチー、イイヅカのガーデンでこぼこトリオ(この3人はサインをもらったうえに、ちゃっ かりツーショット写真まで撮った)。
 ナマで見るケイくんは、イチローのようなしなやかな体つきをしていて、でもやっぱり肩 なんかはガッチリしていて、身長は僕よりわずかに大きく、でも体重は僕より15kgは軽そう な感じだった。そして、ルックスがいい。いつもニコニコ顔。話していても、ぜんぜんエラソ ーぶったところがまったくない、控えめな、とてもピュアな印象を受けるナイスガイであっ た。世界の頂点を目指す人間が、こんなおっとりしていていいのかなと心配になるくらい だった。テ

ニスがちょっと強くてエラソーにしている人がいるが、やはりホンモノは違うね。 なにしろ一時は世界ランキング50位近くまでいったお方。あのラファエル・ナダルをして 「彼は近い将来、世界ランク5位には食い込んでくるだろう。100%間違いない」と言わしめ た男なのである。
 「僕もね、埼玉の上福岡テニスガーデンというクラブのシングルス・チャンピオンなん だ」とちょっと自慢してみたけど、「へえ、そうなんですか」とニコニコしながらもまったく 興味なさそうであった(当たり前だ!)。負けた。ルックスで負け、テニスで負け、さわやか さで

負けた。以前、取材で松岡修造さんにお会いしたとき、そのカッコよさに打ちのめされ たが、今回も完敗であった。  近い将来、もしグランドスラム大会で優勝したら、チャンピオン・スピーチで、「僕を支え てくれたコーチ、家族、そしてパラーダに感謝したい」と言ってくれる?とお願いしたら、 「ハイ」と言っていた。だから皆さん、ケイくんがウインブルドンやUSオープンなんかで優 勝したら、ぜひ彼のチャンピオン・スピーチをじっくり聞いてください。
 今朝、新聞を読んでいたら、フロリダで開催されているタラハシー・チャレンジャーで、ケ イくんが準々決勝で敗退したという記事があった。完全復活まではまだ少し時間がかかり そうだ。なんとかして世界の頂点へと駆け上ろうともがいている、あのピュアなニコニコ顔 を思い浮かべている4月。(写真:左から中林 安希、錦織圭さん、中林 隆)

                               (2010/04/25)



  第17回       祝!第50回KTGリーグ戦

 7月4日、第50回KTGリーグ戦記念式典の祝賀会に出席した。 会場となった上福岡駅近く
の天婦羅屋『天七』の2階には、会員、元会員ら総勢40名のシングルスプレーヤーが勢揃い
し、25年、50回の歴史を積み上げてきたことを盛大に祝った。最後は大カラオケ大会となり、
「ところで今日って何のお祝いだったっけ?」という感じになったのだが。
 1984年秋にスタートしたKTGリーグ戦。第2回大会で優勝した郷田隆さんは当時41歳だっ
たというから、ものすごく歴史を感じる。ちなみに第1回大会から連続出場しているツワモノ
は、その郷田さん、豊田一男さん、二本松久さん、熊谷清さんの4人。女子では鈴木長恵さ
んの44回が最多出場。先日、今シーズン限りの引退を表明した杉山愛の4大大会シングル
ス62大会連続出場には及ばないものの、すごい記録だ。 ケガなく25年間コートに立ち続け
なければ不可能なことである。仕事やプライベート、健康状態などが日々変化していく人生
の中で、いつでも試合ができる環境をキープするというのはとても難しいこと。この5人には
心から拍手を贈りたい。ここまできたら、ぜひ100大会連続出場目指してがんばってほしい
ものだ。
 25年の歴史の中で、11人のチャンピオンが誕生している。喜渡卓さん、郷田さん、増渕均
さん、須貝利一さん、林茂喜男さん、熊谷さん、豊田剛一くん、北原龍くん、佐藤和秀さん、
土屋祐樹くん、そして僕、中林隆。最多優勝は、喜渡さんの25回。気が遠くなる数字である。
なんと50大会中、半分優勝しているのだからスゴイ。イチローの9年連続200安打に匹敵す
る記録だ。 その偉大な記録を僕が9回で追っているのだが、到底破ることはできないだろ
う。
 最年少優勝は喜渡さんの24歳(1984年第1回大会)。最年長優勝は林さんの50歳(1999
年第31回大会)。初優勝者の平均年齢は38.8歳。このデータからは、KTGプレーヤーのピ
ークは30代後半に迎えるということがわかる。 20代後半になるとベテランと呼ばれる世界
のテニス界だが、KTGリーグ戦の出場者は超ベテランの集まりと言っていいだろう。
 KTGリーグ戦の最大のよさは、誰もが参加できるという点ではないだろうか。性別や年齢
に関係なく、すべてのプレーヤーが同じ土俵でシングルスを楽しむことができるのがいい。
現在、下は17歳の高校生、井上楠奈子さん、上は72歳の二本松さんまで、さまざまな年齢
性別、職業の方が参戦している。 若手は持ち前のパワーとスピードを、年長者はテクニッ
クと経験をそれぞれ武器にして、シングルス特有の独特な緊張感の中、1セットマッチを戦
う。 このスタイルで25年間、 一度も途切れることなくリーグ戦を行っているのは、全国でも
KTG以外にはないのではないだろうか。すばらしいことだ。
 さて、季節は秋である。 東レ パン・パシフィック・テニス(9月27日〜10月3日)と楽天オー
プン(10月5〜11日)のふたつのビッグトーナメントが行われる季節だ。東レPPOにはシャラ
ポワやウイリアムス姉妹、サフィナ、杉山愛、クルム伊達公子など世界のスタープレーヤー
が勢揃い。杉山にとっては最後の大会となる。 楽天オープンには王者フェデラーが出場す
る予定。ケガで長いこと戦線離脱していた錦織圭も登場する。
 そして我がKTGでは、今年2度目のリーグ戦が開催される。今回もまた楽天オープンにも
決して劣らない熱い戦いが繰り広げられるに違いない。

                               (2009/09/17)
          祝賀会の写真(アルバム)は
こちらをクリックすると ご覧になれます。
          写真提供=利根川誠さん・小林軍一郎さんです。

  第16回       ウインブルドンでの幸福な時間

 梅雨である。「この季節は鬱陶しくて嫌い」という人は多いのだろうが、僕は嫌いじゃない。
休日に、ぼんやりと雨を眺めて過ごすのも悪くはないし、いつもはテニスをするだけで終わっ
てしまう一日が、本を読んだり映画を観たり掃除をしたりと意外と充実したものになったりす
るのもいい。そして、自分にはこの季節にある強烈な思い出があって、そのために特別なもの
となっているのかもしれない。
 それは1996年、ウインブルドンでの出来事。今でも目を閉じれば、その光景が鮮明に蘇って
くる。スタンドのざわめきや空の色、審判の声や記者席の少しかび臭い匂いなどが、まるで昨
日のことのように思い出されるのだ。
 その年は、ウインブルドンの風物詩である雨が特に多かったように記憶している。その日も
雨のせいで進行が大幅に遅れていた。伊達公子とシュテフィ・グラフが準決勝を戦うためにセ
ンターコートに入ってきたときには、もう夕暮れ時だった。
 当時、グラフは世界ナンバーワン。しかし、伊達はその年の4月、有明でのフェドカップ日
本対ドイツ戦でグラフに勝っていた。チャンスはある。しかし、可能性としては低いのではな
いか。舞台はウインブルドンのセンターコート、相手はディフェンディング・チャンピオン
である。呆気なく終わってしまうかもしれない。正直、そう思っていた。戦前、いったいどれ
だけの人があのような展開になることを予想しただろうか。
 ファーストセットを6−2でグラフがあっさり先取し、セカンドセットもグラフが2−0と
するが、ここから伊達の圧巻の挽回劇が始まるのだった。軌道の低い伊達のリスキーなショッ
トが決まり出す。焦ったグラフのショットがネットにかかる。試合は完全に伊達のペースとな
った。予想外の展開に、スタンドの満員の観衆がざわつき始めた。ポイントとポイントの間に
は興奮した観客があちらこちらで奇声をあげる。「信じられない」といった感じで頭を抱える
観客までいた。
 記者席にいた僕は、ペンを持つ手が震えるのを自覚した。感動していたのかもしれないし、
少し怖くなっていたのかもしれない。今、自分はすごいものを目にしている。これまで数々の
名勝負を生み出してきたテニスの聖地で、東洋の小さな国からやってきた小柄な女性が、たっ
たひとりでその「伝統」を相手に戦っているのだ。グラフを倒したら、おそらく優勝だろう。
鳥肌が立った。特に鮮やかに心に残っているのが、グラフのウイニングショットであるフォア
ハンドの逆クロスを、伊達がバックハンドでストレートに切り替えし、エースを奪ったシーン
だ。グラフは一歩も動けなかった。勝てる。しかし、夕闇が迫っており、伊達が6ゲーム連取
してセカンドセットを6−2としたところで無常にも日没順延となってしまうのである。
 翌日に行われたファイナルセットはあっさりとグラフが6−3で取り、残念ながら伊達の決
勝進出はならなかった。もし順延とならずにあのまま試合が続いていれば、もし雨が降らずに
順調に試合が進行していたら、と意味のない想像がどうしても頭から離れなかった。
しかし、一方で、すがすがしい晴れやかな気持ちもあった。このすばらしい戦いをしっかりと
この目で見たという幸福感、それに、テニスを愛する日本人のひとりとして、伊達を誇りに思
う気持ちが胸を満たしていたのだ。
 あれから13年。主催者推薦というかたちで、クルム伊達公子がふたたびウインブルドンに登
場する。どのような戦いを見せてくれるのか、楽しみでならない。

                               (2009/06/21)


  第15回      記憶力と偉大なプレーヤーの関係  朝日新聞の夕刊に『人生の贈りもの』という連載がある。さまざまな分野で活躍してき た著名人へのインタビュー記事なのだが、毎回、興味深い話がポンポン飛び出すので、楽 しみにしている。少し前になるけど、プロゴルファーの青木功が登場した回が、とてもお もしろかった。  何しろ記憶力がすごいのだ。例えば、記者が「83年のハワイアンオープンの最終日、最 終ホール」のことに話を向けると、青木功は「ジャック・レナーが19アンダーで首位でフ ィニッシュしていた。おれは1打差で、バーディを取ればプレーオフに持ち込めると思っ たが、2打目が曲がってラフに入った。(中略)キャディーがクラブの9番を出そうとし たので、ノーと言って、ピッチングウエッジを手にした。(中略)どんなことをしてもバ ンカーを越え、プレーオフにしたいという、強い気持ちで打った」と答える。この後、放 たれたショットはワンバウンドでピンに入るという有名なシーンなので、青木功自身、何 度もそのときの映像を目にしたのだろうが、とにかくコメントが終始こんな感じなのだ。 その瞬間、自分がどういう状況にあって、その上でどういう選択をして、どういう結果に なったかということを、まるで昨日の出来事のように話す。すごい記憶力だ。そこで思い 出したのが福井烈さんの話だった。  福井さんは僕がテニスマガジンの編集者だった頃、雑誌の顧問をお願いしていた関係で、 頻繁にお会いする機会があった。ウインブルドンの解説などでご存知だと思うが、福井さ んは現役時代、全日本選手権優勝7回(史上最多)を成し遂げたすごい方である。僕らか らしてみれば神様のような人なのだが、本当に気さくな方で、編集部でのテニスや飲み会 などにもよく顔を出していただいた。もう何年も前だが、福井さんも参加したある飲み会 で、インターハイの話になった。すると福井さんはインターハイでの自分の試合をすべて 覚えていると言うのだ。たった1回だけ試合をしたというのではない。柳川商業高校(現 柳川高)時代にインターハイ3連覇、なんと169連勝している人である。その3度のイン ターハイの1回戦から決勝までのすべての試合のスコアはもちろん、どういう相手でどう いう展開だったかを細かく記憶しているというのだ。実際に質問したら本当に覚えていて びっくりしたものだ。  もしかしたら偉大なプレーヤーというのは、記憶力に長けた人なのかもしれない。だか ら、ショットやパターンのイメージをたくさん持っていて、ミスを繰り返さないのかも。 あらゆる状況に対応できる引き出しをたくさん持っているというのは大きな武器だけど、 それには記憶力が大きな力となっているのではないだろうか。  自分はどうなのだろう? 実はもう昨年のKTGリーグ優勝決定戦の内容が、記憶から薄 れつつあるのだけど。                                (2009/2/22)

 

  第14回       錦織圭の話 その1  以前、僕がテニスマガジンの編集部にいた頃、日本人プレーヤーを表紙にするとその号は 売れないというジンクスがあった。テニマガは商業誌だが、テニスというスポーツを応援す る専門誌でもあるので、何度か、期待する日本人プレーヤーを表紙にしたことがあった。し かし、その号は思ったように売れてくれないのだ。  その原因として考えられるのは、ひとつは作り手が思っている以上に、一般の人はそのプ レーヤーを知らないということがある。あるいは、たとえ知っていたとしても、それほどそ のプレーヤーに対して興味がないのかもしれない。表紙は雑誌の顔であるから、やはり華や かでインパクトが強いほうがいい。そういう点で、日本人プレーヤーは外国人プレーヤーと 比べて、どうしても地味に映ってしまうのかもしれない。  しかし、最近のテニス雑誌は、競ってある日本人プレーヤーを表紙にしている。そう、錦 織圭だ。  今、テニスといえば錦織圭、ということなのだろう。その人気ぶりは、テニスという枠を 超え、女性誌や写真週刊誌なども取り上げるほど。それらはほとんど「〜王子」みたいな別 の切り口なのだが。それにしても、これだけひとりの日本人男子テニスプレーヤーが、一部 のテニスファンだけではなく、多くの人から注目されるという状況は、かつてなかったこと ではないだろうか。  錦織圭はそういった日本の過剰なフィーバーぶりに惑うことなく、着々と実力を上げてい る。先日行われたAIGジャパンオープンでは3回戦進出。世界ランキングを84位から77位ま でジャンプアップ。 続くストックホルム・オープンではベスト4をマークし、66位に。 トップ50入りはもうすぐ。 松岡修造氏が1992年にマークした46位(これまでの日本男子最 高位)を抜くのも、もう時間の問題だ。  一般的に言われていることなのだが、男女の選手層から考えると、男子のランキングのト ップ50は、女子のトップ10と匹敵するくらいの重みがある。  昨年の暮れだったか、僕の店に遊びに来てくれたあるプロテニスコーチが教えてくれた話 を思い出す。 錦織のマネージメントを担当しているIMGでは、彼が世界のトップ5に入るこ とを想定してすでに準備しているのだそうだ。錦織とも親しく、また、錦織が現在練習の拠 点としているIMGテニスアカデミーの先輩でもある彼は、 「ケイがトップ5のプレーヤーに なるかどうかはわからないけど、少なくともトップ50には間違いなく入ると思う」と断言し ていた。そのときは、本当にそうかな?と正直思ったが、それも現実のことになろうとして いる。  この先、彼はどこまでいくのだろう。「世界一になりたい」と彼はさらりと言う。それは とてつもなく高い望みだが、「あるいはもしかして」と思わせてしまう雰囲気が、彼にはあ る。とにかく私たちは、彼が表紙を飾る雑誌をこれから何度も目にするようになることは間 違いなさそうだ。                                (2008/10/16)

 

  第13回       ありがとう もうずいぶん昔のことのように思えますが、7月28日に結婚しました。相手は、これ まで何度かいっしょにコートにおじゃましたり、軽井沢での合宿にも参加させていただい たから、すでにご存知の方も多いと思いますが、名前を安希といいます。今後、いろいろ お世話になると思います。末永いお付き合い、どうかよろしくお願いします。 僕たちのKTG内結婚披露パーティを企画・運営していただいた梅澤くんはじめ幹事の皆 さま、ありがとうございました。美味しい料理とお酒、そして、KTGらしいほんわかとし た楽しい雰囲気で、とてもいい会になりました。 僕らが出会ったのは、3年前のフレンチ・オープンでした。彼女はあるメーカーが主催し た観戦ツアーに当選したラッキーな参加者として、僕はテニスマガジンの取材者として、 それぞれ現地を訪れたわけです。初夏のパリ。太陽は輝き、風は穏やかにそよぎ、街角の カフェからは楽しげな笑い声が聞こえ、レンガ色のコートの上では情熱的な試合が行われ、 会場にはワインとエスプレッソとタバコの匂いが漂っている。僕たちはそんな映画のワン シーンのような状況の中、運命的に出会ったのでした。まあ、簡単に言うと、ナンパ、な んですけどね。 観戦ツアーにゲストとして参加していていた伊達公子さんに「あれえ、仕事中にそんな ことしてていいんですかあ?」と呆れ顔で言われたことを今でも覚えています。いいんで す! 自分がこれっ!と思ったら、いくべきなんです! なんだかのろけ話のようになってしまいましたが、何が言いたいかというと、テニスはや っぱりすばらしいということ。テニスと出会っていなかったら、KTGの皆さんとも、もち ろん彼女とも出会っていなかった。大袈裟かもしれませんが、今の自分もなかったかもし れない。そして、これは僕のこれまでの経験から確信しているのだけど、テニスが縁とな って生まれた出会いは、ほかの種類の出会いと比べて結びつきが強いと思うのですが、ど うでしょう。 だから、今、改めて言いたいです。テニスに、ありがとう!と。                                (2007/11/21)

 

  第12回       春一番  テニスを思いきりできない日々が続いている。だからなのか、どうも気分的にパッと しない。身体の中に何かが決定的に足りないのだ。僕にとってテニスをプレーするとい う行為は、空気を吸ったりゴハンを食べたりすることと同じで、生きていく上ではなく てはならないもの。まさに「NO TENNIS,NO LIFE」。テニスが満足にできていない今の 自分は、酸欠状態ならぬテニ欠状態なのです。  カフェの仕事は予想以上にハードで、一日が終わるといつもぐったり。週一回の休日 には、疲れているからかいつも大寝坊してしまう。昼近くになってもぞもぞと起き出し て、たまっていた洗濯をし、部屋を掃除し終わった頃にはもうすでに一日の半分以上が 過ぎてしまっている。そうなると一日の過ごし方の選択肢がとても限られてくるのだが、 それでもプライオリティとしてはテニスがトップ。よしっ!と気合いを入れて吉祥寺か ら約1時間かけてテニスガーデンに行くわけだが、到着する頃はもう夕方で、ウメザワ やツッチー(土屋くん)らに「もう、遅いなあ!」と呆れられてしまうのである。これ でもベストを尽くしているもりなんだけど。  ジャンルに関係なく同年代の人の活躍がいつも気になっている僕なのだが(皆さんは そういうことないですか?)、その中のひとりに今年40歳になるサッカーの三浦和良 (横浜FC)がいる。そのカズが先日行われたJFL熊本とのプレシーズンマッチで決勝点 を挙げ、その存在感の大きさを改めて見せつけた。「サッカーは極めるということがな い。常に新しい発見がある」とは彼の試合後のコメントだが、僕はこれを聞いて深く頷 いてしまった。それは、サッカーだけではなくどんなスポーツでも同じだし、あるいは 仕事などでもそうだろう。「発見」はカズのように、物事を極めようとする行為の中に ある。大切なのは、姿勢なのだ。そこには年齢は関係ない。常に自分を高めようと努力 しているカズには、まだまだ現役としてがんばっていただきたい。  先週、東京にも春一番が吹いた。いよいよ本格的な春がやってくる。忙しいとか、時 間がないとか嘆いてちゃいけないな。僕も、今年はテニスはもちろん、さまざまなこと からたくさんのことを「発見」したいと思う。                                (2007/2/18)

 

  第11回       新しいスタート  店をオープンして4か月が経ちました。ついこの間まで蝉が鳴いていたと思ったのに、 気付けばもうクリスマス。毎日が新しい経験の連続で、これまでの人生にないくらいの猛 スピードで時間が過ぎ去っていきます。遅くなりましたが、オープニングパーティにわざ わざ足を運んでくださった皆さま、そして、お祝い金をくださった皆さま、さまざまな面 で応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。たくさんの方々によって 自分は支えられているということを、改めて感じました。テニスを通じて知り合った友人 や先輩方は自分のかけがえのない財産。店にテニスマガジンの編集部のみんなや鈴木貴男 くんらテニスプレーヤーがたくさん来てくれたりして、ああ、テニスをやっていて本当に よかったなと心から思います。  とりあえずなんとかやっているわけですが、大好きなテニスをやる時間を取ることがで きないのが悩み。リーグ戦も負けちゃったしなあ。来年はテニスと仕事の両立を目指しま す!  僕は、挑戦する人生を送りたい。平穏な日々よりも冒険に満ちた日々を送りたい。例え ば道が二手に分かれていたら、きれいに舗装された見渡しのいい道よりも、暗い森の中に 続く険しい道を進みたい。 だから、会社を辞めてカフェを開くと決めたときに周りから 「大丈夫?」と反対されたけど、僕自身にはまったく迷いはありませんでした。むしろワ クワクしたし、これから自分がやろうとしていることはとても素敵なことのように思えた。 そして、それは正解だったと自分では信じています。  だから、梅澤くんが彼の持っている技術や人脈を生かして新しいことを始めるという話 を聞いたとき、僕は大賛成でした。以前から彼はテニスにも恋愛にも慎重なタイプだった し、何か行動を起こすときはまずがっちりと環境を整えてから動き出すタイプなので、そ の決断はじっくり考えた末のものだろうし、だからきっとうまくいくだろうと思ったので す。  学生時代にペアを組んでいた梅澤くんと僕が、偶然にも同じ時期に新しいスタートを切 りました。どうぞよろしくお願いします。                                (2006/12/13)

 

  第10回       何歳からオッサンなのかという問題  いったい男は何歳からオッサンになるのだろう。高校のときの友人は当時から老けていたので、仲間から 「オヤジ」というあだ名がつけられていた。彼の自宅に電話して母親が電話口に出ると、咄嗟に名前が出てこ なくて仕方なく「オヤジいますか?」と聞くと、母親は慣れているのか「ちょっと待っててねえ」と彼を呼び にいったものだった。どうしてるかなあオヤジ。今では正真正銘のオヤジになってるんだろうなあ。  僕は今年40歳になった。でも、子供の頃にイメージしていた40歳とあまりにかけ離れているのでちょっと戸 惑っている。気持ち的には、そうだな、まだ28歳くらいなのだ。だから実感年齢は28歳。ガーデンにもいっぱ いオッサンがいるが、もしかしたら皆さんも同じような気持ちなのかもしれない。そうなのですか?  40歳というと、この間、清子さまとご結婚された黒田慶樹さんと同い年である。あと来シーズンからヤクル トの選手兼監督になる古田敦也さん。ふたりとも立派で「俺もがんばらないとな」という気持ちになるが、何 と 言っても一番ショッキングなのは、ビートルズのジョン・レノンが暗殺されたのが彼が40歳のときだったと いうこと。彼が音楽によって世界中の人々に与えた夢や希望は、すべて40歳になるまでにやり遂げられたのだ という事実に今、改めて驚く。僕はジョンの年齢を超えてしまった。そう考えるとなんともいえない虚脱感に 襲われる。果たして自分はこれまでに何を世に残してきたのだろう? いや、俺はまだこれからの男なのだと 自分で自分を勇気づけている今日この頃です。一方、僕の心の救いは、1964年生まれのアメリカの俳優ブラッ ド・ピットとキアヌ・リーブスである。僕よりも1つ年上だが、彼らなんかどう見てもオッサンじゃない。彼 らの活躍は、意味もなく僕に勇気を与えてくれる。  もう40歳なんだなと実感したのは、今年の夏の終わりに負傷した膝のケガがなかなか直らなかったとき。そ れほど高いところから飛び下りたつもりじゃなかったのに、着地したときの衝撃で左膝の関節が負傷してしま ったのだ。骨には異常がなく痛みもやがてなくなったのだが、今でもその部分はぽっこりとたんこぶのように 腫れている。医者によると膝の捻挫だという。事件から何か月も経っているのに痛みが消えなかったとき、 「このままテニスができなくなったらどうしよう」と真剣に悩んだ。だから、またコートに立てたときは心か ら うれしかった。自由に駆け回りボールが打てるという喜び。テニスってなんて気持ちがいいのだろうとしみ じみ思った。そのケガのせいでリーグ戦初戦を欠場、2試合目から復帰できたのだが、そのときの気持ちは、 なんというか、テニスの神様に感謝したいという気持ちでした。  長いテニス人生。これからもケガするんだろうな。でもそのたびに復活して、そのたびにテニスの神様に感 謝することになるのだろう。今後はケガとどううまく付き合っていくかを考えないといけないのかもしれない。 40歳って、きっとそういう心境になる年齢なんですね。                                (2005/12/3)

 

  第9回       夏テニスの思い出  暑い日が続きますが、日が暮れる頃にそよぐ風にはかすかに秋の気配が漂ってきたようです。 夏の終わりというのは切ないですよね。ひとつの恋が終わってしまうような気がする。こんに ちは、ロマンチスト中林です。しばらくコラムをお休みしていたのですが、また気合いを入れ ていきますのでよろしくお願いします!  皆さんの「夏テニス」の思い出は何ですか? 僕の場合は何と言っても大学1年のときの夏 合宿です。合宿は毎年春と夏の年2回行っていたのですが、すべての雑用を請け負う体育会運 動部の1年生ということで、その年の夏合宿は最悪でした。今でも夢の中で当時のことを思い 出し、うなされることがあるほど。それくらい強烈な思い出となっています。  夜明け前の山中湖。薄暗い中、目をショボつかせながら黙々とコート整備をする僕ら1年生。 ひと通り終えたあと先輩を起こしに行き、全員で湖畔までランニング、コートに戻ってからは 「100本ストローク」です。これはペアでグラウンドストロークのラリーを往復100回ノ ーミスで続ける練習で、だいたい97回くらいで緊張してどちらかがボールをネットにかけて しまい、どん底に突き落とされるわけです。朝メシは部員全員がこの練習をクリアしてから。 1年生ですから、先輩たちにお茶を汲んだり、ごはんをよそったりしなくてはならないので、 やっと箸が持てるのは食事終了5分前といったところ。そしてすぐさまコートに集合です。  昼間の練習は、ボールを打っているだけなら楽なのですが、1年生はダッシュでボール拾い をし、交代で湖畔までランニングし、声を張り上げ、先輩のために水を用意しなくてはなりま せん。毎晩行われるミーティングでの正座(約2時間!)もキツかったけど、やはりメインイ ベントは「振り回し」です。いわゆる根性練で、先輩がストレート、クロスと左右にボールを 出し、それを打ち返すというもの。こう書くとなんてことないような練習だと思うかもしれま せんが、これが地獄なんです。先輩が故意に放った隣のコートへのアウトボ−ルも必死で追わ なくてはならない。時間にして30分くらいだったかな、その間ずっとダッシュを繰り返すわ けです。長いですよ、炎天下での30分は。本気で「いっそ死んでしまったら楽になれる」と 何度も思ったものです。 自分の番を終えたときのすさまじい疲労感と脱力感。僕は今でも銭湯にあるサウナに入ると、 あの息苦しさを思い出し、呼吸困難に陥ります。  どんなにキツかったかということを書き出していくとキリがないのでやめますが、まあそん な感じでした。合宿が終わったときは涙が出るほどうれしかったなあ。同期の中には本当に泣 いていたヤツもいたかもしれない。  あのときの練習は果たしてテニス上達に役立ったのかどうか疑問ですが、後にも先にもあれ ほどテニス漬けの日々を過ごしたことがありません。あの合宿を経験して、自分がひとまわり 大きくなったような気がしたのを覚えています。そして確かなのは、あの地獄の合宿をともに 励ましあって乗り切った同期の仲間とは、今でも非常に強い絆で結ばれているということ。 そう考えると、とても意味のあった合宿だったのかもしれない。そうだよな、梅沢! (何を隠そう平日会員の梅沢正稔くんと僕は同じ大学テニス部の同期なのです。知らない方も いらっしゃると思うので念のため)                                (2005/8/23)

                              

  第8回       秋の軽井沢で「本物」に触れた喜び

 「みんなテニスを楽しんでいて、とてもいいクラブだね」。軽井沢駅まで送っていく車の中 で、坂井さんが言ったその言葉が今でも耳に残っている。さわやかに晴れ渡った軽井沢の広い 空を見上げながら、僕はとても清々しい気分になった。10月23日と24日に「リゾートイン グリーン軽井沢」で行ったKTG秋のテニスキャンプは大成功だった。  合宿の幹事を引き受けてから、小池浩さんといっしょに目指したのは、「テニスに力を入れ た合宿」にするということ。僕がテニマガ編集部時代からお世話になっている坂井利郎プロを 招いて、KTGの皆さんに本物のテニスを肌で感じてもらおう。2日間という短い時間の中で、 みんなが何かひとつでも上達のヒントを得てほしい。その2点を軸に合宿を企画したのだが、 いかがだったろうか?  少なくとも僕自身は、坂井さんのプレーを観察しながら、ああいう無駄のないシンプルで安 定したテニスを将来はしたい!と思ったし、2日間を通してテニスのすばらしさを再確認でき た。音楽でも芸術でも文章でもスポーツでも、本物はシンプルでわかりやすいということを学 んだ。「本物を生で見ることが大切」と坂井さんは初日のトークショーのときに言っていたけ ど、僕たちは坂井利郎という本物のテニスプレーヤーを間近で見たわけで、この経験によって 自分のテニスの視野が広がったような気がするのは僕だけじゃないはず。  今回の話を快く引く受けてくださった坂井さんには本当に感謝! プロ野球でいえば長嶋茂 雄、日本テニス界の「ミスター」である坂井さんに我がKTGの合宿に来ていただけたなんてホン ト夢のよう。そして、小池さん。論理的で緻密なヘルプをしてくれました。本当にありがとう。 北原龍くん、突然のコーチ役のお願いだったにもかかわらず、見事応えてくれました。 そして何と言っても二本松さん! 二本松さんがいなかったら、おそらく今回の合宿は成功し なかったでしょう。心から感謝しています。今後はプレー前には必ず準備運動をしてください。 2日目の対抗戦のときには吉原さんにもお世話になりました。そのほか、たくさんの方々の協 力があって、合宿は無事に終了しました。ありがとうございました。  最後に。合宿初日の夕食時に、新潟県中越地震が発生した。あれから2週間以上が経ち、徐 々にライフラインも戻りつつあるけど、大勢の人々がいまだ困難な生活を強いられている。 これは他人事じゃない。いつ何時僕らが生活しているこの土地に、あのような大きな地震が発 生するかわからない。今、僕たちは平和な環境にいて、健康で、何も心配なくテニスを楽しむ ことができる。そういった、普段は特に気にすることもなく過ごしている平凡な日常が送れる ということに、私たちは感謝しなくてはいけないと思う。                                (2004/11/10)

                              

  第7回       世界は広い!

 9月5日、台風18号の影響で時折小雨が降る中、無事、第2回KTGセミ オープン男子ダブルス大会が行われました。18組が参加した今大会、見事 優勝を果たしたのは、ナント、ジャジャーン!私、中林とパトリス・シャブレル のペアでした。ディフェンディング・チャンピオンの梅澤/小田切組を決勝で 破っての優勝。スコア的にも完勝といっていいでしょう。いやあ、うれしかった なあ。まあ、パトリスのおかげなんですけどね。でも、僕は僕で自分の仕事は したつもりなので、大満足でした。  今回はパトリスのプレーがホントよかった。ぐいっとタメを作って、ブレの ない振り抜きで一気にボールをヒットするので、パッシィングショットに対して ボレーのうまい梅澤/小田切組が一歩も動けないという場面が何度もありました。 フランスの赤土のコートで育った彼のフォームは独特で、ちょっと日本人に は見られないタイプ。まさに「世界は広い!」という感じ。僕もそうですけど、 KTGの皆さんもいい刺激を得ることができたんじゃないでしょうか。  パトリスと組んでいて感じたのは、「こんなスタイルもありなんだな」というこ とでした。勝負に出るタイミングだとか、ショットのバリエーションなどがことご とく新鮮で、自分の考えているテニス以上のものを側で体感できたように思 います。テニスのスタイルは本当にさまざまで、いつもKTGだけでプレーして いると、そういった刺激を得ることはむずかしいですよね。だから、僕は、もっ と会員の皆さんがKTG以外でプレーしている自分のテニス仲間を、たまには ビジターとして連れてこられたらいいんじゃないかと思います。そうした方が自 分のテニス感がさらに広がったり、例えば、市民大会などで初めて対戦する 相手に対しても萎縮することなくプレーできたりというようなプレーの幅が広が ることにつながる気がするのですが、いかがでしょうか。  さて、季節は秋。僕にとって秋はサンマと松茸とテニスです。気持ちのいい太 陽の下で思いきり汗をかいて、そのあとサンマとビールなんて最高です。たまに はテニス観戦なんていうのもいいですよね。そうそう、ヒューイットやシャラポワ が出場するAIGオープン(10月4日から10日まで)のプログラムに、ちょっとした 文章を書いているので、時間のある方はぜひ、有明コロシアムに足を運んでみ てください。そこでもきっと「世界は広い」ことを体感できることでしょう。                            (2004/9/21)

                              

  第6回       10年ぶりのフレンチ・オープン

 5月のパリは本当に気持ちよくて、カフェのテラスでお茶している人たちも、どこ となく楽しそう。古い街並には色とりどりの花が咲き乱れ、日射しは強いけど、風は さらさらと優しく吹いている。その中に身を置いていると、生きてる喜びというか、 人生に感謝したい気持ちが心の底から沸き上がってきます。  10年ぶりにフレンチ・オープンに行ってきました。今回は、大会の取材ではなくア ディダスの仕事での渡仏。国内のアディダスカップ優勝者たちと抽選に当たった一般 テニスファンの皆さん、それに、ゲストの伊達公子さんを交えたツアーでした。参加 者全員がフレンチ・オープンを訪れるのは初めて。皆さん、世界のトッププレーヤー たちのパフォーマンスを間近で見て、大感激していました。「ずっとテニスをやって いてよかった。幸せです」とある参加者がしみじみと言っていたのが印象的でした。  僕自身は、ヒンギスに会えた(というより見た)ことに感激しました。というのは、 10年前の1994年、まだジュニアの部に出ていたヒンギスの写真を撮ったことがあった からです。ジュニアの表彰式は男子決勝と同時に行われたので、先輩カメラマンから 自分の代わりにヒンギスの表彰写真を撮ってきてくれと言われたのでした。新米記者 の僕はダッシュで会場に向かったのですが、表彰式はすでに終了。途方にくれてセン ターコートに戻ろうとしたときに、ばったりヒンギスに遭遇したのです。使命感に燃 えていた僕は「自分は日本のテニスマガジンの記者で、どうしても優勝カップを持っ たあなたの写真が撮りたい」と伝えると、「もちろんOKよ!」とヒンギスは言って、 わざわざコートに戻ってくれたのでした。  もちろんヒンギスはそんなこと忘れてしまっているだろうけど、そのとき撮った写 真は今でも僕の宝物だし、それ以来、僕は彼女を応援してきました。そのヒンギスと、 10年後のフレンチ・オープンで再会。当時14歳だった少女が美しい大人の女性に成長 していたのを見て、時間の流れの重さを感じました。果たして自分はどうなんだろう。 10年という年月に値する成長をしているのだろうか、と自分に問いかけた今回の旅で した。                                (2004/5/30)

                              

  第5回       春の記憶

 僕の住んでいる三鷹にはとても美しい桜並木があって、毎年、その通りを歩く のを楽しみにしています。特に夜。しんと静まり返った夜道を、美しい桜を見上げ ながらてくてくと歩く。暗闇とライトアップされた桜の鮮やかさのコントラストが とても幻想的で、なんだか「うっとり」という感じなんです。  春っていいですよね。暗くて寒い季節から暖かい花の季節へ。新しいものが生 まれる予感がする。何か新しいことに挑戦したくなるし、今やっていることをまた 原点に立ち返ってみようという気になる。そういえば、生まれて始めてテニスに触 れたのも春だったなあ。  春の夕暮れの市営コート。クレーコートの匂い。ネットの向こうから親父にボー ルを出してもらって、何度も何度もあきずにボールを打っていた。コート中に転 がった、毛が擦り切れて小さくなったボールを拾いながら「もうひとカゴお願 い」と言う自分に、親父はうんざりという表情を浮かべていたのを覚えています。 へたくそなのに、テニスが楽しくて楽しくて仕方がなかった。今、振り返ると、 これが自分のテニスの原風景のような気がします。あの頃の気持ちを忘れちゃい かんな。みなさんの場合はどうですか?  この春からテニスを始めてみようという人もきっと多いはず。僕はそういう人たち にテニスのすばらしさを伝えたい。たくさんの人がテニスと出会うことができれ ば、それはとてもすばらしいことですよね。その人たちのテニスの原風景に協力 したい。それが、以前、テニスマガジンの編集の仕事をしていた頃からの願いで あり、今まで自分を育ててくれたテニスへの僕なりの恩返しだと思っています。                              (2004/3/23)

                              

  第4回       まっさらなテニスコ−ト

 ちょっと遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。  新しい年の始まり。そこには無限大の可能性が広がっていて、新鮮な気持ちでさま ざまなことにトライできる。テニスでもそう。まっさらなテニスコートに立った自分 を、これからどうデザインしていくか。そこで僕は懲りずにまた、「今年こそサービ スを何とかしたい」と誓うわけです。  皆さんの今年の目標は何ですか? 「強烈なバックハンドを手にいれたい」。いい んじゃないですか。「美しくてキレのあるボレーが打ちたい」。できると思います。 「100%決まるスマッシュを身につけたい」。がんばって! 自分のことを棚に上 げて言わしてもらえば、そう強く願えば、誰もが目標を達成できるでしょう。  今年は僕は、昨年よりもテニスをがんばろうと思っています。とりあえずは3月7 日に行われる上福岡市テニス協会設立25周年記念の団体戦に向けて、体を作り、た くさんボールを打ちたいと思っています。女子のメンバーは水川さんがリーダーとなっ て決定したと聞いていますが、男子のメンバーは二本松さんと相談した上で、中林、 梅沢、豊田(剛)、林さん、熊谷さん、小池さん、土屋くんの7名を選出しました。当 日の試合に出場するのは3ペア6名なので、対戦のたびに7名の中から臨機応変にペ アを作っていくか、それとも6名でペアを固定するかはまだ未定です。とにかく伝統 のKTGの名に恥じぬよう、気合いを入れて臨みたいです。  これから本格的に寒くなるので、皆さん、プレーの前の準備運動を怠らないように してください。年の始めにケガをするのは避けたいですからね。それでは、今年も楽 しくやっていきましょう!                              (2004/1/13)

                              

  第3回       ゆく年、くる年

 忘年会のシーズンになりました。街を歩けば、いたるところで騒いでいる迷惑な 集団を目にします。実は自分もそのひとりで、12月に入ってから何度も忘年会に誘 われ(または誘い)、日々酔っ払っているしだいであります。皆さん、今年もお疲 れさまでした!  テニスガーデンでも恒例の団体戦&納会が7日に行われました。以前にテニスマ ガジンの編集後記にも書いたことがあるのですが、僕はこのイベントが大好きです。 いろいろな方とテニスができるのがいい。普段いっしょにプレーしたことのない方 とペアを組み、いつもと違う緊張感の中、いつもと違う相手とプレーする、その感 覚がとても新鮮で、楽しいのです。  僕は、テニスを通してできるだけたくさんの人とつながりたい。コート上では男 も女もなく、医者だろうが学校の先生だろうが、主婦だろうが冴えない編集者だろう が関係ない。普段の生活はとりあえずコートの外に置き、さまざまな人生を歩んで いる、さまざまなタイプの人がいっしょになってひとつのボールを追う。そこには 日常生活ではなかなか得ることができない何か特別なつながりが生まれるのではな いかと思うのです。それもまた、テニスのすばらしさではないでしょうか。  また、チームの勝敗のかかった試合となると緊張していつものプレーができなく なってしまったり、逆に、ここぞというときに力を発揮したりと、皆さんの意外な 一面を見ることができるのも、このイベントの楽しみのひとつ。今回も、いろいろ と勉強になりました。 2003年も暮れようとしています。自分としては毎年、年頭に立てている「強烈な ビッグサーバーになる!」という目標は、今年もまた達成できなかったわけですが、 振り返ると、まあいい年だったんじゃないかという気がしています。  皆さんの2003年はどういう年でしたか?                              (2003/12/18)





  第2回       テニスには終わりがない!

 テニスって麻薬のようだと思いませんか? いや、皆さん、麻薬なんてやったこと がないと思うので、「そうだよね」と簡単に頷かれても困るのですが、なんだかふた つには共通点があるような気がするのです。  お金も暇も持て余しているアラブの大富豪がハマるのが、麻薬とテニスなんだそう です。以前読んだある小説に、そのようなことが書いてありました。一度ハマってし まったら、その快楽から抜け出すことがなかなかできない。麻薬とテニスにはそんな 恐ろしい魅力があるのだと。  先日、飲み会の席で、鷹石依理紗ちゃんがこんなことを言ってました。「テニスっ て終わりがないですよね」と。う〜ん、深いお言葉。確かにそうですよね。バックハ ンドがまともに打てるようになってきたら今度はフォアハンドの調子がおかしくなっ たり、もう何万回とサービスを打っているのにいまだ自信が持てなかったりと、その ような経験は皆さんにもきっとあるはず。実は僕も、もう何年間もサービスで悩んで います。テクニック面だけじゃない。メンタル面でもそう。例えば、試合に出て負け るたび、「よ〜し、今度の試合までにビビらないで、冷静に試合に入れる自分になる !」と誓うわけです。つまり、何年やっていても、テニスにはまったく終わりが見え てこない。課題は次から次へと出てくる。  だからこそテニスはおもしろいと思うのです。ひとつの課題を克服したときの喜び は何事にも代えることはできない。それに、上達する過程であっても、ボールを打つ ときのあの感覚は、喜びというか快感というか、日常生活では決して味わうことので きないエクスタシーですよね。  テニスガーデンにはそんなテニス中毒者があふれています。麻薬はいけないけど、 テニスは体にいいときているから、どんどんやりましょう! でも、林(茂)さんをは じめ何人かの方は、ほどほどにしたほうがいいんじゃないかなとも思うんですけどね。                              (2003/11/5)





  第1回   テニスを心から楽しんでますか?

 以前、テニスマガジンの編集長をしていた頃、モニカ・セレスにインタビュー する 機会があって、その中で彼女は「私は心から好きでテニスをやっている。 試合に勝つことよりも、純粋にコートでボールを追い掛けることにむしろ本当の 喜びを感じる」 と言っていたのがとても印象的で、今でも僕はそのことをときど き思い出します。  その事件は衝撃的でした。セレスはシュテフィ・グラフから世界ナンバーワン の座を奪い、そのことに腹を立てたグラフの熱狂的ファンに、試合中、背中を刺 されたのです。精神的なダメージはかなりのものだったらしく、しばらく彼女はテ ニス界から 姿を消してしまいます。しかし、「テニスが好き」だという強い気持ち を再確認し、復活を遂げたのが1995年。ちょうどそのとき僕も取材でUSオープン を訪れていて、心からプレーを楽しんでいる彼女を見て、自分もうれしくなったの を覚えています。  数々の栄冠を手にし、何億という大金を稼ぎ、テニス界の頂点にまで上り詰め たセ レス。しかし、その戦うモティベーションとなっているのが、単純に「テニス が好き」だからというのは、なんだかとても重く、感動的だと思いませんか? 彼女 ほどの人が言うと、あ、それでいいんだと素直にうなずける。  テニスを始めた頃、やっぱり自分もテニスが好きで好きで仕方ありませんでし た。今ももちろん大好きなんだけど、ちょっと自分の気持ちに変化があって、ネッ ト向こうの相手とラリーをすることに純粋に喜びを感じます。人と人とのつながりに 喜びを感じるというか、例えば、ダブルスでは、自分のパートナーが楽しくプレーし てくれれば、自分もとてもうれしいんですよね。  やっぱりテニスは楽しくなくちゃダメ。そういう意味で、このコラムのタイトルを つけたというわけです。テニスが好きで好きで仕方がなかった、そのピュアな気持ち を皆さんもぜひ、いつまでも忘れないでください。     (2003/10/13)